メタ思考

まえがき

 心理学を専攻しているわけでもなんでもないのであくまでも個人的な見解です。考察記事というよりもメンタルコントロール的な話になります。

 先に書いておきますが、この記事で例に挙げているような人達を責めているつもりはありません。改善も求めていません。ただ様々な面で自分と違う人と接する方法について表現したいだけです。

本文

 炎舞では、というかギルドシステムや対戦型のゲームによくある光景で、例えば思い通りに行かない時に他人のせいにしてしまう人がいます。一言で言えば「同じ であることや そうあるべき ということを強要している状態」だと思います。

 ありがちな例。四面や宵闇マウント。これって別にルールを逸脱しているわけでもないのですが非難されることがあります。理由は色々ですが「自分は四面を使わないから相手が使うと許せない」「マウント取られて負けると苛々する」などなど、四面・宵闇は相手を妨害する行為です。相手を妨害するから非難されるのでしょうか、だとしたらデバフは妨害ではないのでしょうか。不思議ですね、本質的には同じ妨害行為であるデバフは非難しないのに四面・宵闇だと非難する。これって先ほど書いた、同じであることやそうであること、の強要の様に思います。

 暗黙の了解やマナーだという人もいるかも知れませんが、例えばご飯を食べるときに音を立てないというマナーがあります、うどんやラーメンだと何故か許されますよね。でもこれって他の国の人から見るとマナー違反だったりします。結局は何を基準に考えるかと言う事でしかなくて、使えるものは使う人、嫌いだから使わない人、どちらが正解と言う事でもなくて単に好みの問題。私は前者で使えるものは非難されようが使います。実際、相当な非難を受けてきました。私はそういった人達はブラックリストに登録して無視するようにしています。それぞれ考え方が違うので、合う合わないは必ずあります。考えが合わない人と一緒にいることで色んな視点で物事を捉えるキッカケをもらうこともできますが、関わることが苦痛なら無理に関わる必要はありません。この手の話で口論になった際、私にはその場を上手く収めるような技量はありません。なので避けます。逃げていると思う方もいるかも知れませんが、その通りです。でも逃げるという行為は恥ずべき行為ではありません。一般的には悪い印象を持たれがちですが、何からどういった理由で逃げるか次第。逃げる行為が一概に悪いこととは思いません。

 四面には堅忍といった対抗策もあるし、宵闇に関しては一心・闇鶴、下げには上げ。対抗策が無く、片方が一方的に蹂躙されてしまうような物は確かに私も使うことを躊躇しますが、対抗策があるならそれを講じれば良いだけだと考えています。でもこれを言ったところで非難してくる人たちは納得しません。何故なら自分を基準において違うことに拒否反応を示しているため、私の考えを述べたところで「あぁ、そうか、なるほど、そういった考えもあるのか」とはなりません。主観を捨てて物事を捉えることができる人であれば、違うことに対して非難ではなく疑問を抱くと思います。つまり「四面・宵闇を使うな!」ではなく「何故それを使おうと思うのか?」と疑問に持ちます。それを相手に問うかどうかは別にして、少なくとも違うことに対して嫌悪感や拒否反応を示すことはありません。

 この手の議論に関してはその場での解決はとても難しいと思います。合戦直後、特に負けて苛々しているような状態であれば冷静に話し合うことはできません。でも時間をおいて議論することで互いの意見を理解できる可能性もあります。人の思想って実は案外変わりやすいです。いままで嫌いだと言っていたものを何かがキッカケに好きになる事もあります。そういった意味では私のブラックリストに入れるような行為は良い行為とは言えません。でも私は前書きに書いた通り、誰かの思想を変えたいわけでもなんでもないので議論するつもりはありません。炎舞も色んな人と関わりたい訳ではなくて、単に戦略ゲームとして面白いと思ってやっている面が強いです。勿論何人か仲の良い(と私が勝手に思っている)人はいますが、動画配信やリアルイベント等で繋がりを広げたいと思いません、単に苦手ってのもありますけど、そういった分野にアクティブな人たちは凄いなと思います。

 また少し違う例。軍師として合戦中の指揮をとっている際に、味方が自分の意図した通り動かない場面があると思います。それを咎める行為は先ほどの四面・宵闇に対する非難と同じです。残念ながら連合員の場合はブラックリストで関りを断つということが難しいと思います。なのでこういった場面は「期待しない」と言う事が大切です。人は期待したことに対して期待通りの結果が返ってこない時にストレスを感じます、期待しなければそれが出来なくてもストレスに感じることはありません。

 もしもこれを改善していくなら何で自分の意図と違う動きをしたのかを理解する必要があります。「指揮の意図がわからない」「違う動きのほうが良いと思った」行動には必ず理由があります。それを正しく理解していない状態で一方的にこうあるべきだとかこうして欲しいと論じても意味がありません。一時的に改善した様に見えたとしても根本的な原因を直さなければ高い確率で再発します。

 具体的には共有をすべきです。例えばここに一枚の絵があるとします。

  • 赤い薔薇が描かれている
  • 薔薇は瓶に刺さっている

 この絵をみて何の絵だと思うでしょう。「赤い花の絵」「瓶に刺さった薔薇の絵」「薔薇が刺さっている瓶の絵」同じものを見ているのですが、人によって捉え方は様々です。ここで「瓶に刺さった薔薇の絵」の話をしようとしても「薔薇が刺さっている瓶の絵」だと思っている人だと話が嚙み合いません。その花が「薔薇」だと知らずにただの「赤い花」だと思っている人も同様。描かれている花が薔薇だと言う事を共有して、瓶に刺さった薔薇の絵である事も共有します。私はよく前提条件という表現を使いますが、これらがないと話が上手く嚙み合わずに正しい議論が出来ません。視点を揃えると言った方が解りやすいかも知れません。

 視座、視野、視点という言葉を聞いたことがあるでしょうか。これらの説明は省きますが、視座を上げて俯瞰(≒メタ思考)することで自分自身を含めて客観的に物事を捉える思考法があります。説明すると長くなってしまうので興味のある人はこれらの言葉で検索して見ると良いです。最も大事なのは主観を捨てることです。これができれば自身の思考だけでなく、他人の思考に対する捉え方も変わってきて、他人に苛々することも少なくなってくると思います。

あとがき

 SNSゲームなので色々な人がいます。特に炎舞は勝ち負けのあるゲームなのでそのせいでぶつかり合うような場面は多いです。違いを許容する、という行為はかなり難しいですが、意識してみると多少ストレスが緩和されると思います。

 矛盾しているかもしれませんが、連合内の気の合うメンバー同士で他所の文句を言う分には私は構わないと思います。共通の敵を作ることで団結力を深めるという手法もあります。ただ、少なくとも誰かに喧嘩をふっかけるような真似は好きではありません。

 何を書きたいのかよくわからなくなってきましたが、新しいコスト25が追加されたので次回はちゃんとした考察記事を書きます。終わり。